いよいよ暑さともおさらばだ!
超暑がりのraikusです、どうも。
いよいよ北海道も一週間目。
今回は雨ということもあり走行距離は短いけれど、内容的には充実したものとなっています。
それではどうぞ!
今回は釧路へ向けてツーリング!
しかしあいにくの雨、いつになったら晴れるんだ、うぉぉぉぉぉぉ!!
まずは虹別から別海町に移り、新酪農村展望台へ。
この別海町では牛をよく見かけます。
人口の8倍とか、もはや牛の町ですね。
人間が付随しているようなもんです(笑)
あまりの雨続きに牛さんたちもぐったりしている様子。
カメラを向けると一斉にこちらを向いてきてビビった。
新酪農村展望台では朝早くにもかかわらずチャリダーが1人いて、少しばかり談笑。
荷物が少ないので聞いてみたところ、主にライダーハウスを使用しているとのこと。
晴れていたら広大な草原を見渡せると思うのだが、雨と霧が凄くてもはや写真に撮る意味がないほどに。
また雨のせいで階段が滑りやすくなっており、非常に危なかった。
なぜこんなところに展望台を立てたのかは、まったくの不明である。
荷物が軽いって、やっぱり最高だね。
いちいちパッキングなどに気を使う必要ないし。
後ろのネットにくくりつけているのは今日の洗濯物。
さて、今回の一番のメインがこの場所、旧奥行臼駅逓所。
ここは国の指定史跡にもなっており、意外や意外、歴史的にも価値がありそうなものが多く残されています。
まずは駅逓所とは何かを知っていきましょう。
駅逓所とは?
主に旅人へのサービスを行うための施設、
現代でたとえて言うならば「道の駅」に近いところがありますが、 いろいろな役割を担っており、人馬継立、宿泊その他に貨物の運送や郵便取り扱いをするところもあった。
旅館+運輸+郵便の役割があり、地図上の記号は○の中に+マークでした。
有名なのは広島にある島松駅逓所。
こちらは入館するのに200円必要です。
詳しくは北海道ファンマガジンにて、どうぞ。
さてこの奥行臼駅逓所は、本当につい最近に国指定史跡になったばかりです。
私が行ったときはお客さんは運よく一人もいなく、若いお姉さんに丁寧に案内されながら中を見学しました。
このお姉さんが本当によく話す人で、なんでも京都に友達がいるそうで、意気投合してかなり楽しめました(笑)
建物は老朽化が進んでおり、床が斜めになったりしているのだが、中は非常に綺麗に保存してあった。
ここの駅逓所の取扱人は資産家だったようで、どうやら誘いを受けてなったようです。
この駅逓所は昭和5年に廃止されたのですが、廃止された後も取扱人であった山崎藤次郎は建物を「山ト山崎旅館」としてそのまま旅館業を続けて、駅逓時代よりも賑わいをみせたようです。
駅逓所廃止後も藤次郎の子孫が代々この駅逓舎に住み続け、大牧場の経営を引き継いだため、駅逓所に使われていた調度品が数多く残り、当時の景観が良好な状態で保たれているというわけです。
商才のある家系だったわけですね。
この写真で面白いのは襖にガラスが取り付けられているということ。
これは現代でもなかなか見ないデザインで、非常にセンスのある作りですね。
また当時はガラス自体の値段も高かったので、藤次郎が資産家だったという証拠にもなります。
ここでお姉さん、「こんな場所に無造作に置いていいものか悩んでるんですけど、すごいものがあるんですよー」とおもむろに、中央にある机の引き出しを開けだします。
その名前を見てびっくりしました!
東條英機と書かれているではないかっ!
「ちょ、なんでこんな変なところに置いてあるんですかww 飾ってもいいじゃないですかwww」
A級戦犯となっており、太平洋戦争の責任者とされたために、おおっぴろげに公開することができないのでしょうか?
いやー、こんなところで意外な名前が出てきてびっくりした。
どうやら資産家だったので物資の援助などを行っていたところ、お礼状を渡されていたようです。
客間は非常に古めかしいままで残されている。
「京都のほうがこういうのは多くあるんですよね?」とお姉さんに言われましたが、京都でもこういった内装はもうほとんど残ってないんじゃないかと。
それにしても高そうなお部屋、実際は当時でも高かったそうだ。
いかにも高そうな調度品などが残っている。
べっこうのかんざしや、アザラシや熊の毛皮を用いたコートも飾られており、資産家の力を見せつけられる。
現代でも高いよね、こういう毛皮のコートは。
また着物も多く収納されており、「その着物とかは10万以上の値打ちはありますよー」と言われて、急いで閉めた。
これが箪笥にいくつも閉まってあるとか駅逓所怖いwww
この駅逓所には実はコウモリがいる。
だからどうしたという話だが、実はそのコウモリ絶滅危惧種らしい。
退治しようにも絶滅危惧種なんで、困ってるんですよねーと笑うお姉さん。
どうやら私が来る前にコウモリが下に降りていたそうだが、二階に登った時は上のねぐらから鳴き声が聞こえてきました。
なんかいろいろ凄いな、この駅逓所!
観光シーズンはまだいいが、本当に暇で退屈なんですよーとぼやいていらしたので、暇があれば寄ってあげてください(笑)
お姉さんに別れを告げ、次は廃駅舎へ。
運賃高いなぁ!
函館までなんて新幹線みたいな金額になってます。
そりゃ車使うわな。
やはりこういった廃屋めぐりは実に心躍ります。
当時のままに残された場所になっていて、時代に取り残されたような印象を受けます。
スタンド・バイ・ミーみたいに線路を歩きながら、「stand by me」を口ずさみます。
ダーリンダーリン♪のとこで、なんか空しくなって止めました。
ソロツーさいこぉぉぉぉぉぉぉ!!(震え声)
そういやこの時期は文化祭ですね。
私の高校の文化祭では劇をやったんですが、その演目がスタンド・バイ・ミーでした。
私はもちろん大道具小道具でサボってましたがね!
配役充てられるようなタイプじゃないので、私。
当時の車両がそのまま残されています。
残念ながら私は車両に詳しくないので、これがどういった価値があるのか分かりません。
意外と車両は外装は綺麗でした。
定期的に塗装や錆処理を行っているのかな?
お次はヤウシュベツ川湿原。
こんな天気なんで正直飛ばそうかと思ってたんですが、途中だし寄ってみることに(北海道で言う寄り道は約10km程度であるww)
ヤウシュベツはアイヌ語で「ヤ・ウシュ・ベツ」-「網曳きの大川」といい、『網で魚を捕らえる場所』という意味。
通称「土場川」とも呼ばれ、幕末の航路、明治・大正・昭和の中期までは根室等への物資輸送路でした。
国道244号線に架かる万年橋から望む風景は一見の価値があります。 別海町役場HPより
曇り空の方が本当に湿原って感じがしますね。
やはり広大です、北海道は広い、広すぎ!
京都に少し土地分けてくれ!
さて根室地方に入ったものはいいものの、ものすごい霧です。
一寸先は闇ならぬ、一寸先は霧って感じです、前が見えない!
濃霧が凄い為に寄り道せずにノシャップ岬へ。
うーん……。
何も見えない(絶望)
いやー、まさかここまでとは。
だが何もせずに帰るわけにはいかないのだよっ!
ノシャップ岬には灯台があり、その裏側に入ると写真のような野鳥を観察する場所があります。
木の椅子で立派な建物だったので、マジで宿に困ったときはここにお世話になるのもいいかもしれませんね。
夜はカギは開いているか知りませんが。
どうやらこのノシャップ岬、本土の最東端であり、一番太陽が早く朝日が昇るそうです。
まぁ、曇ってたら意味がないんだけどね、ばーかばーか m9(^q^)
……はぁ、腹減った、飯食おう。
実は昨日、流氷街道にて花咲蟹を二杯買ってました。
二杯で4200円でした、うーん安い!
実家に帰宅後頂きましたが、身も詰まっていて大変おいしかったですという感想は後日談。
その花咲蟹を買った場所で「東光」という場所を教えてもらって、どうやらここが蟹を卸しているところのようです。
なんでも訪れるだけでもカニの鉄砲汁を貰えるというので、タダほど安いもんはねぇ!という関西根性丸出しで訪れました。
この鉄砲汁は美味しかったですね。
カニの出汁がいい感じに出ていて、体がとても温まります。
また自由に食べれる昆布締めも、とても美味しかった!
ちょうど昼飯時だし、寒いから何か温かいものでも食べようと思い、カニ雑炊を食べました。
お値段800円、うーんこれはちょっと高いかも。
でも美味しかったし、満足満足です!
本当はこの日は釧路まで行くつもりだったのですが、あまりの霧の凄さと雷注意報が出ていたので、この日は休息日とすることに。
お風呂は泉の湯と呼ばれる低料金で入れる場所で済ませました、。
シャンプーなどは付きませんが、なんと料金150円!
ジュース買える値段で入れるから驚き。
外装はオンボロだけれど、内装は綺麗で地元住民がよく使う場所になっているようです。
北海道の人って温泉よく入ってはりますね。
夕食は昨日買った花咲蟹のインスタントラーメン。
正直これ単体で400円もしちゃうんですが、まぁまぁ美味しかったです。
カニの殻から出汁を取るんですが、身はないのが残念。
今回の走行距離、230km。
この旅の記録をセーブしますか?
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北海道ツーリング二週間目へ続く!!
天気が良くなかったのが残念ですが、
やはり廃屋はいいですね。
一人で行っても周囲から変な目で見られないで済みますし(笑)